重度の発達障害を持つ子どもへの愛情…続けられなくなったらどうする? 親としての葛藤と向き合う日々

こまち
こまち

こんにちは、こまちです!

私は3人姉弟を育てているママです。

長男は知的障害、自閉スぺクトラム症、注意欠如多動症です。

重度の障害を抱える子どもを育てる親として、毎日が本当に試行錯誤の連続です。

顔はいい長男、基本的に機嫌がいい彼は、私にとってとても大切な存在です。

ですが…

愛情を注ぐことが大切だということは、頭ではよくわかっているのですが、時折ふと考えてしまうんです。

「もしこの愛情がいつか続けられなくなったら、彼はどう感じるんだろう?」

例えば、彼が成長して今のように手を差し伸べられなくなったとき、自分はどんなふうに彼を支えられるのかが不安になります。

愛情を与えることで、今は彼の心の支えになっているかもしれませんが、それが未来に向けて本当に良い選択なのか、いつも悩んでしまいます。

今できる限りのことをしているつもりですが、どこかで限界が来るのではないかという不安が消えません。

こういった問いは、すぐに答えが出るものではないからこそ、日々の生活の中で常に頭の片隅にあります。

2. 私が悩んだこと(現在進行形の問題)

ある日、長男のほっぺをつぶして「大好きだよ~」と癒されているとき、ふと将来のことが頭をよぎりました。

今はまだ、彼が小さくて、私の力でどうにか抑えたり、落ち着かせたりすることができています。

最近は走り出した彼を止めた翌日は筋肉痛ですが…。

衝動性と多動性への対応は、絶対に手を離さない。

家の中はドアチェーンで外には出さない。

これが、今の私たちのやり方です。

でも、彼がもっと大きくなったらどうなるんだろう。体が大きくなって、私の手に負えなくなったとき、私にできることはあるのだろうか。

今、無条件に与えている愛情が、将来の彼を支える力になるのか。

それとも、逆にそれが彼にとっての重荷になってしまうのではないか。

そんな不安がいつも頭の中でぐるぐると回っています。

この悩みはすぐに解決できるものではなく、これからも私にとっての課題であり続けるのだろうと思います。

3. 愛情は一時的でいいのか?という葛藤

愛情を注ぐことで、今は子どもが安心することもあるような気がする。

少なくともそう思っています。

長男が悲しい気持ちになったとき、抱きしめたり、声をかけたりすることで、少しずつ落ち着いてくれます。

しかし、私の心の中には常に、ひとつの大きな不安が付きまとっています。

その愛情が、私が注ぎ続けられなくなったとき、彼はどうなってしまうのか。

もし私が病気になったり、年を取って彼を支える力がなくなったら、彼はどうやってこの世界で生きていくのだろう。

最終的には、私自身が彼を見届けることなく先にいなくなってしまうだろうという現実を、どうしても避けることができません。

この葛藤は、いつも私の胸に重くのしかかっています。

今の私には、彼に愛情を与えることができています。

でも、それが一時的なものでしかないなら、最初から愛情を知らない方がいいのではないか、という思いがよぎることもあります。

もし彼が愛情を知らなければ、それを失った時の喪失感に苦しむこともないかもしれません。

それとも、与えられる限りの愛情を注ぎ、彼にとっての支えとなるべきなのか。

彼にとって、私の愛情が生涯にわたる力となるのか、それともそれを失った時の傷があまりに大きくなるのか、私はその答えを見つけることができません。

このジレンマは、愛情を与えることに対する喜びと同時に、未来への大きな不安を抱かせます。

自分が最期まで見届けることができないという現実と向き合いながら、どのように彼に愛情を注ぎ続けるべきか、その答えはまだ見つかっていないのです。

4. 愛情を与えることの今と未来

もしかしたら、今私が次男に与えている愛情が、将来の彼にとって重要な土台になるのかもしれません。

彼の未来を想像すると、不安もありますが、私が今彼に注いでいる愛情が、いつか彼の心の支えになることを信じたいと思っています。

愛情というのは、必ずしも物理的なサポートだけではなく、心に残るものだと信じたい。

今の彼にとって、悲しい気持ちになったときに私が抱きしめ、声をかけることが、彼の安心感に繋がっているのなら、その感覚が彼の中に残り、彼が成長したときにも何かの支えとなるのではないか、そう思わずにはいられません。

もちろん、私がずっと彼の側にいて愛情を注ぎ続けられるわけではないことはわかっています。

愛情が彼にとって負担になるのではないかという不安もあります。

私がどんなに愛情を注いでも、将来彼がそれを失ったときに耐えられなくなるのではないかと、考えてしまう瞬間もあります。

この悩みは、きっと私だけのものではないはずです。

重度の障害を持つ子どもを育てる親として、日々感じる不安や葛藤は、私だけが抱えるものではないと感じています。

多くの親が同じように、どれだけ愛情を注ぎ、そしてそれをどう続けていけばよいのか、迷いながら毎日を過ごしているのではないでしょうか。

私自身、愛情を与えることが今は大切だと信じていますが、その愛情がいつか続けられなくなるかもしれないという現実と向き合うたびに、心が揺れるのです。

「愛情を与えることが子どもの支えになるのか、それともいつかそれを失った時に苦しむことになるのか?」

そういった問いには、明確な答えが見つからないまま、私は毎日試行錯誤しています。

この記事を書いたのは、私と同じように、愛情について悩み続ける親御さんたちが少しでも共感してくれることを願ってのことです。

私たちは、決して一人ではないのです。

愛情の形に正解がないからこそ、その問いと向き合い続けることが大切だと感じています。

いつかその答えが見つかるかもしれませんし、見つからないままかもしれません。

それでも、悩み続けることで、少しでも子どものためにできることを見つけられたらと思っています。

同じ悩みを抱える親たちに、この記事が少しでも心の支えになればと願っています。

6. まとめ:これからも向き合い続けることの意味

答えが見つからないまま、私は今日も子どもに愛情を注ぎ続けています。

何が正解か、どうすれば彼の未来にとって本当に良いことなのか、まだわからないことがたくさんあります。

それでも、今この瞬間にできる限りのことをして、これからも彼と共に歩んでいこうと思います。

正解がないということは、時にはとても怖く感じるものです。

これでいいのだろうか、この選択は彼にとって本当に良いものなのだろうかと、自分自身に問いかける日々です。

しかし、正解がなくても、親としての責任を感じ、少しでも彼の未来を支えられる存在でありたいと思います。

私たち親は、答えが出なくても、子どもに向き合い、愛情を注ぎ続けることが大切です。

毎日の小さな愛情が、いつか彼らの力になることを信じて、少しずつ歩みを進めていきます。

これからも、子どもと共に、この道を進んでいきたいと思います。

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