- 障害児育児と訪問看護|生活環境の見直しにつながったわが家の体験談
- 「これは子どもが暮らしていていい家じゃない」と思った日
- 支援を使うことより、夫に説明することが怖かった
- きっかけは、相談支援員さんだった
- 「だってナースだよ?」という抵抗
- 「ここの看護師さんは怖くないですよ」という前情報に救われた
- 訪問看護は、勝手に使えるものではない
- 最初に見てもらったのは、リビングだけだった
- 洗濯物を拾う。食器を運ぶ。ごみを捨てる。
- 責められなかったことが、何よりありがたかった
- 服薬や体調のことも、生活の中で見てもらえた
- 子どものことも、自分のことも話せる場所ができた
- 家族への説明を、無理に急かされなかった
- 訪問看護は、医療処置だけではなかった
- まずは相談支援員さんに話してみてほしい
- 訪問看護を入れる前の自分に、今なら言いたいこと
- あなたの家も、あなた自身も、支援を受けていい
障害児育児と訪問看護|生活環境の見直しにつながったわが家の体験談
私は最初、
家族にすべてを話せないまま、訪問看護を導入しました。
後ろめたさはありました。
でも、それ以上に「このままでは家が回らない」という危機感がありました。
訪問看護と聞くと、どんなイメージがありますか。
病気の人が使うもの。
医療処置が必要な人のためのもの。
看護師さんが家に来て、血圧を測ったり、薬の管理をしたりするもの。
私も、そんなイメージを持っていました。
だからこそ、
最初に「訪問看護」という選択肢が出たとき、
すぐには受け入れられませんでした。
わが家には、自閉スペクトラム症、知的障害、多動のある息子がいます。
日々の生活の中で困りごとはたくさんありました。
訪問看護を入れたいと思った一番のきっかけは、
医療処置が必要だったからではありません。
家が片づかないこと。
気持ちまで沈んでしまうこと。
夫に相談しづらいこと。
「私がちゃんとしなきゃ」と思いすぎて、
どんどん苦しくなっていたこと。
そんな生活を、少しでも立て直したかったからです。
この記事は、訪問看護を制度として詳しく解説する記事ではありません。
障害児育児をしているわが家が、
相談支援員さんをきっかけに訪問看護につながり、
私の体調管理や服薬、家庭環境の見直しとして利用するまでの体験談です。
※訪問看護は、誰でも自由に使えるサービスではありません。
利用には主治医の指示や必要な手続きがあります。
この記事は「こういう支援につながるケースもある」という、
わが家の体験談として書いています。

「これは子どもが暮らしていていい家じゃない」と思った日
訪問看護を入れようと思った頃、
ある日突然、
現実が見えたような気がしました。
「これは子どもが暮らしていていい家じゃない」
そう思いました。
5人で過ごすには狭いリビング。
洗濯物、食器、ごみ、子どもの物、日用品。
全部がごちゃごちゃしていて、
どこから手をつければいいのか分かりませんでした。
片づけたい気持ちはありました。
でも、やってもやっても終わらない。
片づけても、すぐにまた散らかる。
棚はひっくり返され、
おむつは脱ぎ散らかされ、
最悪の場合、床やカーペットに放尿されている…。
部屋を見て泣きそうになるのに、
どうしたらいいのか分からない。
視界に入るものが全部「できていない証拠」に見えて、
自分を責める材料になっていきます。
「自分がちゃんとしなきゃ」
「専業主婦なんだから、家のことくらい自分でしなきゃ」
「片づけられない自分が悪いんだ」
そう思えば思うほど、
余計に動けなくなっていきました。
そのとき私は、
もう一人では無理かもしれないと思いました。

支援を使うことより、夫に説明することが怖かった
訪問看護を使うことに対して、
私は強い不安がありました。
特に大きかったのは、
夫にどう説明するかです。
「甘え」と思われたらどうしよう。
「専業主婦なのに、なんで支援が必要なの?」と思われたらどうしよう。
以前、支援を使いたいと話したときに、
傷つく言葉を受けた記憶もありました。
その記憶が、ずっと心に残っていました。
だから、訪問看護が必要かもしれないと思っても、
すぐに「使いたい」とは言えませんでした。
私にとって一番怖かったのは、
訪問看護そのものではありませんでした。
家族にどう説明するかでした。
「私は楽をしたいわけじゃない」
「でも、もう一人では回せない」
「どう言えば分かってもらえるんだろう」
そんなことを、ずっと考えていました。

きっかけは、相談支援員さんだった
訪問看護という選択肢を出してくれたのは、
うちの長男の相談支援員さんでした。
障害児の支援と訪問看護の医療支援は、
制度としては直接つながっていないように見えるかもしれません。
でも、相談支援員さんは、
息子のことだけでなく、
わが家全体の状況を見てくれていました。
子どもの支援がうまく回っているか。
母親が一人で抱え込みすぎていないか。
家の中が回っているか。
生活の土台が崩れていないか。
そういうところまで見てくれていたから、
訪問看護という選択肢につないでくれたのだと思います。
私は、自分のために訪問看護を入れることには強い抵抗がありました。
でも、息子の支援や家庭全体の立て直しという形なら、
少しだけ考えられる気がしました。
相談支援員さんが、
「家族支援として入ってもらえると思います」
「ママのしんどさも伝えた方がいいと思います」
と教えてくれたことで、
私の中に少しだけ
「相談してもいいのかもしれない」という気持ちが生まれました。

「だってナースだよ?」という抵抗
とはいえ、訪問看護と聞いて、
私はやっぱり戸惑いました。
私がしてほしかったのは、
医療処置ではありません。
リビングを一緒に見てほしい。
家の環境を整える方法を、
一緒に考えてほしい。
でも、
そんなことを看護師さんに頼んでいいのか分かりませんでした。
だって、ナースだよ?
医療職の人だよ?
「医療処置が必要な人がいない一般家庭の環境整備で看護師さんに来てもらうなんて、だめだろう」
本気でそう思っていました。
訪問看護は、
もっと大変な医療処置が必要な人が使うもの。
私のように、
薬が飲めない、気持ちが沈む、片付けができなくて生活が回らない
という理由で相談していいものではない。
しかも私には、
前職での経験から、
看護師さんという存在への怖さもありました。
相談支援員さんに見せる顔と、私に見せる顔は違うかもしれない。
本当に怖くないのかな。
本当にこんなことを頼んでいいのかな。
そんな不安がありました。

「ここの看護師さんは怖くないですよ」という前情報に救われた
そんな私に、
相談支援員さんは前もって教えてくれました。
「ここの看護師さんは怖くないですよ」
「障害児のいるお家の環境整備も知っているので、手伝ってくれますよ」
「実際にそういう支援をしているところです」
この言葉は、とても大きかったです。
ただ「訪問看護という制度があります」と言われただけだったら、
私は踏み出せなかったかもしれません。
私が怖かったのは、
制度そのものだけではありませんでした。
家に来る人が怖くないか。
責められないか。
汚い部屋を見て、呆れられないか。
そういうことが怖かったのです。
だから、
相談支援員さんが「ここの看護師さんは怖くない」と言ってくれたことが、
何より大きな安心材料でした。
最初は半信半疑でした。
それでも、
その前情報があったからこそ、私は一歩踏み出せたのだと思います。
訪問看護は、勝手に使えるものではない
ここで誤解のないように書いておきたいのですが、
訪問看護は「使いたいです」と言えば、
誰でも自由に使えるものではありません。
私の場合も、相談支援員さんに相談し、
必要なところにつないでもらい、
主治医の先生とも相談しながら手続きを進めました。
わが家の場合は、
息子の支援や家庭の状況も含めて、
家族支援として訪問看護につながりました。
気持ちの落ち込み。
生活の乱れ。
服薬や体調管理の不安。
子どもの支援を続けていくための環境づくり。
そうしたものが全部つながっていました。
だからこそ、
生活環境を整えることも、
わが家にとって大切な支援の一つだったのだと思います。

最初に見てもらったのは、リビングだけだった
訪問看護を導入したのは、
夏休みが終わってからでした。
現在は週2回、訪問看護に来てもらっています。
最初に見てもらったのは、リビングでした。
正直、それ以外の部屋は見てもらわないようにしていました。
全部を見せる勇気はありませんでした。
自分の生活のだめなところを、
全部見られるような気がして怖かったからです。
5人で過ごすには狭くて、汚くて、ごちゃついているリビング。
そこを見てもらうだけでも、
私にはかなり勇気がいりました。
最初の日、
私はうまく話せないかもしれないと思って、
お手紙を用意していました。
口で説明しようとすると、
緊張して固まってしまう気がしたからです。
そんな私に、
看護師さんはこう言ってくれました。
「少しずつ慣れてもらって、いっしょにお片付けしましょう」
その言葉を聞いて、
少しだけ肩の力が抜けました。

洗濯物を拾う。食器を運ぶ。ごみを捨てる。
その日、
特別なことをしたわけではありません。
洗濯物を拾う。
食器をシンクに運ぶ。
ごみをゴミ箱に入れる。
一つひとつは、本当に小さなことです。
でも、
ひとりで見ていたときは、
何もかもが終わりのない山に見えていました。
どこから手をつければいいのか分からない。
ひとつ片づけても、また別のものが目に入る。
やってもやっても終わらない。
でも、誰かと一緒に動くと違いました。
「まずこれを拾おう」
「これはシンクに持っていこう」
「これはゴミ箱でいいね」
そうやって目の前のものを一つずつ動かしていくと、
リビングは少しずつ整っていきました。
「掃除」ではなく、
生活を立て直せるように、
環境を一緒に整えていく時間です。
私はそのとき、思いました。
「部屋って、こんなに短時間できれいになるんだ」
一人で見ていたときは、
絶対に終わらないように見えていたものが、
誰かと一緒なら少しだけ動かせるものに見えました。
それは私にとって、大きな発見でした。

責められなかったことが、何よりありがたかった
最初はとても緊張していました。
家の中を見られること。
片づいていない部屋を見られること。
自分がちゃんとできていない部分を見られること。
それが怖かったです。
でも、看護師さんは責めませんでした。
「なんで片づけられないんですか?」とも言われませんでした。
「どうして家族に言っていないんですか?」とも言われませんでした。
今の状況を否定するのではなく、
どうしたら少し楽になるかを一緒に考えてくれました。
家が少し整うと、
気持ちも少し軽くなりました。
たったそれだけと思われるかもしれません。
でも、私にとっては大きな変化でした。
「できていない自分」を責める人が増えるのではなく、
責めずに一緒に見てくれる人が家に来てくれた。
そのことに、とても救われました。

服薬や体調のことも、生活の中で見てもらえた
訪問看護では、
部屋のことだけでなく、
体調や服薬のことも見てもらっています。
たとえば、私は朝夕に抗てんかん薬の服薬があります。
服薬管理のケースに薬を入れるのを手伝ってもらいました。
薬を飲むこと。
薬を管理すること。
それも、毎日の生活が崩れていると簡単ではありません。
「ちゃんと飲まなきゃ」と分かっていても、
子どもが動き出すと後回しになることがあります。
薬のケースに入れるだけでも、
「誤飲されたらどうしよう」と机に出せない日があります。
でも、
そこを一緒に見てもらえるだけで、
負担が少し軽くなりました。
訪問看護は、
私が思っていたよりもずっと、
暮らしに近いところにある支援でした。
医療だけを見るのではなく、
生活の中で体調を支えてもらう。
そういう形もあるのだと知りました。

子どものことも、自分のことも話せる場所ができた
訪問看護では、
子どものことも話せました。
息子のこと。
日々の困りごと。
家での様子。
私自身の体調や服薬のこと。
家の中で起きていることを、
まるごと話せる相手がいる。
それだけで、
ずいぶん気持ちが違いました。
障害児育児をしていると、
子どもの支援はたくさんあります。
病院。
学校。
放デイ。
相談支援。
福祉の手続き。
でも、
母親自身のしんどさや、
家の中の回らなさは、
意外とこぼれ落ちやすいと感じます。
障害児育児は、子どもを見るだけでは終わりません。
学校や放デイとの連絡。
通院。
書類。
家での困りごと。
きょうだいの予定。
その全部を回す土台が、家の中の生活でした。
子どもを支えるためには、
親の生活も支えられていないと続きません。
訪問看護が入ったことで、
私はやっと「家の中のしんどさ」を外に出せるようになった気がしました。
家族への説明を、無理に急かされなかった
夫への説明についても、
看護師さんは無理に踏み込んできませんでした。
私は、
家族への説明に不安があり、
最初からすべてを話せたわけではありません。
そのことにも、後ろめたさがありました。
でも看護師さんは、
私が自分から「どうやって旦那に話そう」と言い出すまで、
無理に聞き出そうとはしませんでした。
「お部屋きれいになって、ご家族の反応どうでした?」
そのくらいの距離感で、
そっと様子を見てくれました。
この距離感に、とても救われました。
支援者が家に入るというと、
家庭の中にぐいぐい踏み込まれるようなイメージを持つ人もいるかもしれません。
でも、少なくとも私の場合は違いました。
本人のタイミングを待ってくれる。
話せるところから話していい。
言えないことを無理に言わされない。
その安心感があったから、
続けられているのだと思います。
訪問看護は、医療処置だけではなかった
訪問看護を導入する前の私は、
看護師さんに来てもらうということに、
とても大きなハードルを感じていました。
でも実際に利用してみて、
訪問看護は医療処置だけではないのだと知りました。
体調確認。
服薬の話。
生活環境の見直し。
家の中で困っていることの相談。
子どものことも含めた家庭全体の話。
そういう形で支えてもらえることもあります。
もちろん、
誰でも同じように使えるわけではありません。
地域や事業所、
主治医の判断、
家庭の状況によって違いはあると思います。
でも、
「訪問看護=医療処置がある人だけ」と思っていた私にとって、
これは大きな発見でした。
医療処置がないから相談してはいけない。
そんなふうに、最初から決めつけなくてもいいのだと知りました。

まずは相談支援員さんに話してみてほしい
もし、障害のある子どもを育てていて、
家の中が回らないと感じている人がいたら。
いきなり訪問看護ステーションに連絡しなきゃ、
と思わなくてもいいと思います。
まずは、相談支援員さんに話してみてほしいです。
「家が回らない」
「片づけができない」
「気持ちが沈む」
「子どもの支援を続けるために、親の方が限界かもしれない」
そんなふうに言っていいと思います。
障害児の支援と訪問看護は、
直接つながっていないように見えるかもしれません。
でも、相談支援員さんは、
子どものことだけでなく、
家族全体の状況を見てくれています。
わが家の場合も、
そこから訪問看護につながりました。
私一人では、きっとたどり着けなかったと思います。

訪問看護を入れる前の自分に、今なら言いたいこと
訪問看護を入れる前の私は、
ずっと思っていました。
「自分が楽をするために、支援を使うのはずるいんじゃないか」
「家のことくらい、自分でできないといけないんじゃないか」
「片づけや生活のことで、看護師さんに来てもらっていいのかな」
でも今なら、
あの頃の自分にこう言いたいです。
子どもも、夫も、自分も、生活しやすくなるよ。
自分が楽をするために使うなんて、ずるいと思わなくていいよ。
支援を入れることは、誰かに甘えることではありませんでした。
家族みんなが暮らしやすくなるために、生活を立て直す手段でした。
家が少し整うと、
気持ちも少し軽くなりました。
私が少し息をしやすくなると、
子どものことも見やすくなりました。
「ちゃんとできない自分」を責め続けるより、
誰かと一緒に整えていく方が、
家族にとっても必要なことだったのだと思います。
あなたの家も、あなた自身も、支援を受けていい
訪問看護を入れる前の私は、
「こんなことで支援を使っていいのかな」とずっと思っていました。
でも今は、
あのとき相談してよかったと思っています。
家が回らないこと。
気持ちが沈むこと。
家族に説明するのが怖いこと。
子どもの支援を続けるために、親の方が限界になりそうなこと。
そういうことも、
ひとりで抱え続けなくてよかったのだと思います。
訪問看護につながるかどうかは、
家庭の状況や主治医の判断、地域の支援体制によって違うと思います。
でも、
「こんなこと相談していいのかな」と思っていることほど、
誰かに話してみてほしいです。
あなたの家も、あなた自身も、支援を受けていい。
この記事が、その一歩のきっかけになったら嬉しいです。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。


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